今日も引き続き暑い、散歩では虫刺されがひどい感じになった。
昨日と変わらずの時間ができたら、落合博満氏の評伝を読む。
プロであること、選手の固有性を見ること、選手に覚悟させること、観察すること。
すべてめちゃくちゃに勉強になるエピソードばかりだ。
冷酷に見えるけど、その人固有の文脈を見ている。
そして、「同じ場所から同じ人間を毎日見るんだ、一年続ければバッティングの違いがわかるようになってくる」という示唆の富む言葉は、自分の人生にも活かせそうな話だ。
たぶん自分は、この”観察”がうまくできていない。
観察することは、超具体的な微差を、自分の言葉で見つけることだと、自分の言葉で言い換えて理解してみる。プロほど、この微差の違いの大きさを理解している人たちだろう。
なんの脈略もなくふと、今日は温泉に行こうと思い立つ。
いつもなら、思い立った段階で、自分の思いつきを無視してしまう傾向があった。
家族からなぜか自動的にやめとけばと言われるからである。
家にいることが好きなのか、夕方以降に外に出るのが嫌なのか、いつもと違うのが嫌なのか。
善意なのか、もしくはまったく何も考えず「やめとけ」と言う家族と生活を共にしていたこともあって、何かをやる前には自然と否定的な感情になる自分に気づく。
たぶん、否定されるんやろうなと自分の中で、シナリオを描く癖がついている。
いちいち説明が必要になったり、ちょっと嫌な気分になる。
でも、もうめんどくさいから、すべて無視することにした。
自分に中の、ポッと思い浮かんだことを大切に扱うのだ。
自分のこれまでの判断とは、反対のことをする。
そういうこれまでの自分との予定調和を崩すことも、自分という人間の微差を理解するのに役立つのではないかと思った日だった。