今日は、月末ということもあって、後悔の活かしかたを自分なりに考えた。
まず、過去10年を振り返って、当時の自分に声をかけれるなら、なんとアドバイスするだろう。自分の場合は、もっと失敗してもいい、どうせ死なないし10年後にはなんとも思ってないというだろうと思う。
現在の自分から見ると、自分の自意識とか自我を守りすぎだと思えるのである。もちろん当時からしたら、自分は一生懸命考えていたはずだ。そのときの視線だけでは気づかないのも当然だと思う。
でも、未来から今を想像すると、現在の行動はどう映るだろうか。今この瞬間は10年後の自分から見ると、もっと失敗していいと思えないだろうか。なぜそんなふうに想像できるのだろう。
もう少し深掘りしてみると、おそらく根本にあるのは「恥を掻きたくない」という感情だろう。恥を掻くこと=これまで自分がやらなかった状況に身を置くということだ。だから、自分に引きつけて考えてみると、できれば1日1回、最低でも1週間に1回は恥を掻いていないと、おそらく10年後も同じ後悔をするだろうということがわかった。
後付けで振り返ってみると、あのとき実はチャンスだったよな、と思えることがひとつやふたつ誰にでもあると思う。そして、そのことにも当時から何となく気づいていたのではないだろうか。今チャンスを掴んで先に行っているように見える人たちは、おそらくその恥を掻いたとしても「やってみよう」としただけだと思う。
これから10年は、1日1回は恥を掻く、否定される、ちょっと億劫、という選択をやってみよう。30にもなって、こんなこともできないのと言われるのは嫌だ。だけど、日々のそれこそが10年後をわけるかもしれないと、今は考えている。
今日もよかったよかった。