限界を決めるのと無意識の蓄積

いつもの厚い雲とは変わって、薄い雲で風のある一日だった。

鼻呼吸に意識を向けて、よく眠れた日だった。
睡眠学者が、夜にきちんと寝ていたら、昼間は眠くならないと言っていたが、それは多分ほんとうだろうなと思った。

朝起きた瞬間から立ち上がる、自分の思考に想いを馳せる。
なんの脈略もなく、思考が立ち上がってくるのは、なぜだろうと思った。

睡眠中に、記憶を整理したものを、適当に引っ張ってきては、立ち消えを繰り返す。
これはたぶん自分のこれまでの生きてきた中で形成された、無意識の蓄積がどんな思考を生み出すかを決めてるんだろうなとも思う。
積み上げてきたものは、大きくて深いんだろうと感じる。

初顔合わせの人がいたので、自己紹介を考える。
趣味のことを考えているときに、無意識的に「そんなに上手くないんですけどね…」みたいな、断り文句をつけようとしている自分に気づく。

なんで趣味なのに、上手くなければいけない前提で思考しているんだろうと不思議に思う。
そんな前提を、これまでの経験から刷り込まれ、あるいは自ら刷り込んできたのだろうと感じて、ゾッとする。

意識的に思ってるより、こんな例がたくさんあるのだろう。
知らぬ間に、我慢したり、人と比べたり、上手くなければならない、など。

「自分の限界を決めているのは自分自身だ」のような文言を聞くことがある。
その通りかもしれないと思った。
ほんとうはもっと自由なはずだ。趣味が上手くなければならないなんてことは、ない。
それを、自分で蓋をしていたのだ。

少しずつ解毒できるのが、大人のたしなみだろう。
自分のことを理解しながら、前に進みたい。

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