考えるってなに?むずくね?

今日大変強く思ったこと。「考える」ができている自信がない。

同時に、自分の中に深い意見や過去の思考のストックがないと、「情報」も意味をなさないような気がしている。情報が多すぎるし、情報を追いかけまくっている人も多いのではないだろうか。自分もそうだわと思ってしまった。

本当に実力がある人たちは、誰かの言葉を安易には使わないだろう。自分はけっこうどこかから持ってきた言葉を使ってしまうことがよくある。
今のところ、これだけは言えそうと思えるものは、「考える」とはかなり職人みたいな感じなのではないかということだ。

考えるということを突き詰めて実行し続けていくこと。それはある対象の一部を作ることだけに何年も費やし、細部を完璧に練り上げようとする態度を持っておくことと考えるは近いのかもしれない。

考えることのヒントがほしいけれど、たぶん「考えることとは何か」ですら、自分で向き合って答えを出す必要があるのだろう、とようやく気づけた日になった。
ほんと難しくて、大変で、しんどくて、でもほんの少し楽しいときがある、くらいが知的に生きるってことなのかもしれないなと感じた。

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