恥をかくと、自分で決めつけない

恥をかくから、「しない」判断をすることは、実は自己中心的な考え方なのかもしれないということを書きました。

恥をかくことについて考えると、自分自身の行為をかっこ悪いと思い込んでしまうことが原因だと思う。私たちは社会的な評価や他者の目を気にして、恥をかくことを避けようとする。

私たちは自分でかっこ悪いと決めつけて、恥をかくことを避けることがある。
しかし恥をかくことを避けたら、「相手に喜びを与える機会を逃すかもしれない」という視点を忘れがちになってしまう。
本当は誘ってほしい、声をかけてもらいたいと思っているなんてことは、けっこうあるのではないだろうか。

自分はこれがいいと思う、相手にもいい影響を与えられると思えるものは、自分が恥ずかしいと思っても、前に踏み込んでみよう。そして評価は「相手に委ねること」が重要だ。
恥をかくことを自ら引き受ける人は、頼られる存在となり、周囲から応援や支持を受けることでもあると思う。そういう人はありがたい存在だろう。

自分では想像もつかない人生を送った人の評伝などを読んで、自分を決めつけるのはもったいないことを想像する機会をたまに作るといいかもしれない。たとえば「失われた名前」という本を読むと、自分の限られた経験だけで、良し悪しに判定するのはナンセンスと気づくことができそうだ。

恥をかくことで、想像を超えた素晴らしい結果につながる可能性にも、目を向けることを忘れてはならないと思っている。

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