言語化と断定する練習の関係

言語化のことをさらに考えています。

言語化は、運動神経と同様に訓練が必要。なぜなら、言葉が出てきづらい人は無意識と意識を結ぶ神経が太くなってないだけだからと考えた方がいいでしょう。つまり毎日訓練すれば、ほとんどの人が体得できるスキルだと思います。

そして、言語化がある程度出来てきたら、断定する練習も同時にしていくことが必要だと考えています。なぜなら、断定してみないと意見の表明にはならないからです。

断定なんて、モノごとを知らない人がやってるだけでしょう、知識のある人間は断定なんてしないよ、という意見はわかります。しかし本当にそうでしょうか。社会を生きていく中で正解のある問題は、誰にとってもそう多くないと思います。

どの学校に行くか、どこに就職すべきか、休養を取るべきか、自分はなにをしたいか、に正解はありません。そして、例えば政治や経済などの問題についても、どんなに頭がいい人が解決策を提示しても改善に向かわない問題は山ほどあります。つまり、あたりまえだけど、正解はないのです。

だから自分は、自分なりに考えて今のところこれが正解だと思ってるんだ。だから自分はこれをやっているんだ、これをやってみたいんだと断定する訓練を積んでおかないといけません。会社でも、皆さんの意見を聞きたいと言われたときに、「自分はこれがいいと思います。なぜなら〇〇だからです。」と言える人は勇気があって、信頼を受けているのではないでしょうか(意見が明確なのでもちろん複数人から嫌われます)。

そして、自分の意見とポジションを明確にして話をしないと、相手にとっても貴重な気づきをなくしてしまうかもしれないですし、どっちつかずなことを言いながら話しあっても深い話にはなりません。相手のポジションに自分のポジションから、ボールを投げることによって初めて、人は差異を認識し深めていけるのだと思います。

私も、フリーランスになってようやく気づいて、今愕然としています。あぁだから自分は、会社員時代は、圧倒的な成果は出せなかったんだと、やっと身をもって分かったのです。だから、その癖を克服するために、今は地道にポジションを取って、言い切る練習を毎日しています(風呂でしゃべったり、メモ書きでこれが正しいと思う、なぜならという論理を書いています)。

正解はないから、しっかり論理を考えた上で断定する訓練を積みましょう。

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