判断基準をもつことが一番大事だけど、一番難しいかもしれない

今日は価値観について、ぼんやりと考えていたけど、要は自分がなにを大事な基準にして物事を「選択」するかってことだよね。

人生は、意識的か無意識的かにかかわらず、この瞬間の選択によって物語が作られていく。そう考えると何気なく日々の生活を送っているけど、けっこう重いものに感じられる。

最近の研究なんかをみてみると、生活の中の半分くらいがは無意識的に選択しているんじゃないかみたいことも言われているよう。まぁ脳の中で勝手に考えてたりするもんね。そして、朝起きて顔を洗って、飯を食って、仕事をするなんてほとんどが無意識的にやらないと脳ももたんよな。

でも選択肢が多すぎる場合、人間は明確な理由で絞ろうとせず、なんとなく良さそうとかで決めてしまう傾向がある。CMで見たしとか、SNSで目立ってるしとか。特に休日なにをしようと思ったときとか、家を修理したいとか、自由に選べる幅があるときに、なんとなくで選び続けるのは、けっこう勿体無い気が最近はしている。

というのも、その選択をきちんと向き合って、基準を作って選べば自分の価値観が少しづつ明確になるからだ。例えば、なんとなく居酒屋に飲みにいくという選択をするより、私はバーでひとりで飲むことが好きなのかもと基準を考えて選択した方がいいのではと思っている。

そうすれば、自分の好きなものの感性は、ゆっくりと磨かれていくはずだ。そして、この自分の基準に向き合う行為は、選挙で候補者を選ぶときや、仕事を選ぶとき、子供にどういう教育を受けさせた方がいいか、など多くのものに関連すると思っている。

あんまりうまくまとまらなかったけど、今日も思考できた。良かった良かった。

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